展望電車『四季彩』 現在までの概要

改造種車の経歴
展望電車に改造されたこの車輌(Tc,T'c-134・M,M'-263)の遍歴を辿りながら四季彩に命名されるまでの経緯を記す。

四季彩に改造された4連は中央線用最終増備車である。
昭和59年(1984年)10月に予備車として武蔵小金井電車区に配置、これをもって中央線用の201系は増備を完了した。

クハ201
-134
モハ201
-263
モハ200
-263
クハ200
-134
製造年月日:1984年10月18日 製造所:近畿車輛

これ以降製造された201系はコストダウンを図った通称“軽装車”となる。
当時国鉄がおかれていた厳しい財政状態で中央線を一般量産車で増備完了、国鉄現場サイドの中央線に対するプライドを感じ取ることが出来る。

JR化後の昭和61年(1986年)3月ダイヤ改正時に中央線の基地を武蔵小金井・豊田の2区に統合させ予備車の削減を実施、 この編成を含む24両を豊田電車を転属させ青梅・武蔵野線用6連×3本とバラ6両とした。 この時点では完全な予備車となった。

クハ201
-11
モハ201
-16
モハ200
-16
モハ201
-17
モハ200
-17
クハ200
-11

クハ201
-12
モハ201
-18
モハ200
-18
モハ201
-19
モハ200
-19
クハ200
-12

クハ201
-13
モハ201
-20
モハ200
-20
モハ201
-21
モハ200
-22
クハ200
-13
青梅・五日市線及び武蔵野線用
6連×3本

クハ201
-134
クハ200
-134
モハ201
-263
モハ200
-263
サハ201
-1
サハ200
-2
バラ予備

その後の昭和63年(1988年)12月ダイヤ改正の中央線の増発に際し青梅・武蔵野線用6連×1本と同区バラ4両を組合わせ10連×1本を捻出、 この編成の2・3号車にはモハ201・200-263が組込まれ中央線で活躍した。

平成8年(1996年)中央総武緩行線で使用していた205系を埼京線に転用するため複雑な転配を実施。
京浜東北線に投入された209系10連×1本により同線の103系6連×2本(12両)を豊田電車区へ転属させた。それにより青梅・武蔵野線用201系6連×2本を置換、 201系は10連×1本と4連×1本に組成した。
前者は三鷹電車区に転属、それにより捻出された三鷹電車区の205系を埼京線増発用として転属させた。
後者の4連1本はクハ201-134+モハ201-19+モハ200-19+クハ200-134に組成され武蔵小金井電車区に転属し同区の4両編成運用に充当させた。

平成9年(1997年)4月時点では以下の通りの編成である。

モハ201-263+モハ200-263を含む豊田電車区T1編成
クハ201
-13
モハ201
-263
モハ200
-236
サハ201
-1
モハ201
-20
モハ200
-20
サハ201
-2
モハ201
-21
モハ200
-21
クハ200
-13
 パンタグラフはPS21を装備 《平成13年(2001年)1月31日にパンタをPS35Cに換装》
モハ-263を組み込むT1編成、当時の写真
2・3号車はステンレスキセのAU75Gであるが他の車両はAU75D系列を装備しているので判別できる。

クハ201-134 クハ200-134を含む武蔵小金井電車区H21編成(後のH26編成)
クハ201
-134
モハ201
-19
モハ200
-19
クハ200
-134
 パンタグラフはPS24を装備

平成12年度(2000年)三鷹電車区の中央総武緩行線用201系をE231系により置換し、豊田電車区の青梅・五日市線で使用していた103系を廃車にした。
その際同区の103系訓練車4連×1も廃車、武蔵小金井電車区の4連をそれに充当させることにし豊田電車区に転属、 T1編成の2・3号車のモハユニットと差換、登場時の編成に復帰、その時点では訓練車として扱われることになっていた。
この結果、T1編成2号車のみPS24パンタグラフを装備する異端編成となったのは周知通りである。
展望電車改造〜四季彩命名
訓練車扱いとなったこの編成は車輌の有効活用と青梅線沿線の観光誘致目的とし車体の改造、 塗色の変更を大井工場(現:東京車両センター)で実施する事になった。
改造された4両編成の車輌は各車輌毎季節をイメージした配色に塗替、多摩川方の窓を大型一枚窓に取替。 シートも川側をクロスシート等に取り替えて眺望を楽しめる座席配置に変更した。

 201系展望電車編成図
クハ201
-134
(冬)
モハ201
-263
(秋)
モハ200
-263
(夏)
クハ200
-134
(春)
パンタグラフはPS35Cを装備

平成13年(2001年)7月30日大井工場にて落成式が行われた。また関係者によりテープカット、くす玉を開花させ盛大に式が行われたようであった。

翌日の8月1日には高尾駅開業開業百周年記念イベントで引退間近のパノラマエクスプレスアルプスと共に展示された。

この展望電車の初の営業運転は8月4日からとなった。

●8月4日の運用実績は以下に示す。
〔回9694デ〕豊田6:56→立川7:02
〔回9795デ〕立川7:10→青梅7:43
 《青梅駅で10分の停車時間中に出発セレモニーを実施》
〔9795デ〕青梅→奥多摩8:43
〔回9996M〕奥多摩9:06→御嶽10:47
〔回9197M〕御嶽11:43→奥多摩12:00
〔1210デ〜1411デ〕 この間奥多摩〜青梅間を2往復
〔1510デ〕奥多摩15:37→立川16:48
〔回9711M〕立川17:29→豊田17:35

その後は当面土・日曜日青梅・五日市線内を103系4連運用から展望電車に変更となった。
〔回9710デ〕豊田7:52→立川7:58
〔811デ〕立川8:07→武蔵五日市8:37
〔810デ〕武蔵五日市8:42→立川9:16
〔911デ〕立川9:21→奥多摩10:46
〔1010デ〕奥多摩10:52→青梅11:28
〔1111デ〕青梅11:33→奥多摩12:08
〔1210デ〕奥多摩12:22→青梅13:01
〔1311デ〕青梅13:06→奥多摩13:40
〔1310デ〕奥多摩13:46→青梅14:30
〔1411デ〕青梅14:35→奥多摩15:20
〔1510デ〕奥多摩15:37→立川16:48
〔回9711M〕立川17:28→豊田17:35
上記の運用で〔1510デ〕は本来拝島より10両編成で運用されるが201系4連の単独運用になってしまった為、 非常に混雑していたのは記憶している。

また当初は五日市線への運用があったのが特筆される。しかしその年の12月ダイヤ改正以降は青梅線のみの運用になり五日市線への定期運用は無くなっている。
11月には一般公募により「四季彩」と命名、併せて当初より予定していた車輌毎に異なるデザインのシールを貼り付け更に特色を出した。

登場時以降の運用と変化点
四季彩は検査等重ならないが無い限り土曜休日は青梅線内を走行、八高線の予備車として走行した実績もある。 その際の方向幕は無地であった。
また臨時ではあるが川崎発着の「川崎−奥多摩ハイキング号」に充当、 南武線から青梅線の直通運転も実施されている。

平成15年(2003年)6月には「塩山駅・山梨市駅・石和温泉駅・甲府駅開業100周年記念」イベントで 『やまなし四季彩号』として6月14日に塩山〜甲府間で2往復運転、 次の日は甲府駅で車両展示を行い精力的にイベント等の運用を行った。

2004年7月からモハ200-263の絵柄が「ひまわり」から奥多摩に自生する 「れんげしょうま」に変更、あまり知名度が高くない花のせいか平仮名で 「れんげしょうま」と併記してあったのも特徴であった。

8月4・5日には臨時快速『四季彩高原号』を小淵沢〜白馬間で運転、 全車座席定員制で、乗車券のほか指定席券が必要であった。
(改造車とはいえ通勤電車で指定席券を徴収するのは稀)
 ●ダイヤは以下の通り
下り:小淵沢9:20→白馬11:54  上り:白馬13:00→小淵沢16:12
首都圏用通勤形電車が改造車とはいえ異例の大遠征を実施、 201系としての入線実績を諏訪湖花火臨の松本から更に延ばした。
新・四季彩の登場
翌年(2005年)の5月8日の営業運転を最後に季節毎異なる塗色の編成は見納めになる。
東京車両センターへ回送する際、HMや車体に貼り付けられていたステッカーが 剥がされ登場時の姿になったことも特筆される。
その一ヶ月後の6月に四季彩はイメージを一新して再登場することになる。 東京車両センターを出場した際、車体を 白一色のアンデコになり豊田電車区へ回送。
JR西日本で見られたUSJ塗色になる前の103系を彷彿させる出で立ちとなった。

車体への彩色は豊田電車区で実施された模様。
今回の塗色は以前とは全く異なるコンセプトになった。
車体は「白色」をベースに「青色」のラインで多摩川の流れを表現したものに編成で統一、 各車輌に季節ごとのモチーフと青梅線沿線の景勝地を描いたものに変更になった。
(各車輌の詳細は次ページで示す)
以前はクハ201が冬であったが逆転し春に、以下夏・秋・冬と変更、 また車内のシートモケット等も一部変更になっているのも見逃せない点である。

新四季彩は同年6月25日に行われた「三鷹駅・電車区開業75周年イベント」で一般へ初披露、 ACトレインや勝田から来た485系(ボンネット)や183系と共に展示された。
ちなみに当日は豊田電車区を9:55の9586Mで三鷹へ回送され、 イベント終了後は三鷹17:52発9587Mで拝島に回着している。
(西東京鉄道管理局 特集ページもご参照下さい →三鷹電車区一般公開

同年7月2日からは青梅線内の営業運転に復帰し同線の観光輸送を担っている.

201系の落日〜四季彩 今後の見通し
平成17年(2005年)10月にJR東日本が中央線及び青梅・五日市線用201系の置換計画を発表.
それによると現在同線用の豊田電車区201系710両を新造のE233系に置換えるというもの. しかし計画発表時は同区に714両が配置、この710両は四季彩を除いた両数と考えられる.
同区に所属の予備車クハ201・200-76が平成18年9月に相次いで廃車(関連記事→クハ201-76クハ200-76), これを皮切りに10月からは営業車両であった編成も順次廃車のため長野総合車両センターへ回送された.
この際営業編成(中央線用)は自力での運転となったが, 諏訪湖花火大会で大月以遠へ入線実績のある201系ではあるものの, 廃車本数が多いために乗務員訓練を松本−明科間で平成18年6月に実施, この際用いられたのが四季彩であった.
新たなフィールドへ
朝晩の定期列車で中央線用201系が乗り入れている富士急行に四季彩が臨時快速列車として運転された.
立川−河口湖間の1往復を「四季彩河口湖号」として平成19(2007)年1月27日から同年2月18日の土休日に運転, ダイヤは大宮−河口湖間の「ホリデー快速河口湖2・4号」を転用したもので, 途中八王子・高尾・相模湖・四方津・大月と富士急行線内の上大月を除く各駅に停車した.
この列車の特徴としては車窓からの富士山絶景ポイントとなる三つ峠−寿間で徐行運転を実施, 冬の澄んだ空気の時に見える美しい富士山を四季彩の大型窓より展望してもらおうという趣旨である.
また下り列車河口湖到着後,定期普通列車1往復に充当し一般の利用客へ乗車機会の拡大を図った. これにより四季彩は富士急行線内を1日に2往復運転した.

元PEAのフジサン特急とすれ違う,登場時高尾で並んだときとはお互いに色が変わった.
(谷村町駅 2007-1-27)

2006-4-13 公開開始
2007-1-31 記事追加



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